学校教育の問題ではない
小田 神戸の事件のときの社会の反応、とくに教育界の反応は、若者たちの心の問題、犯罪が悪化するという考えではなかった。神戸の事件のあと現地に殺到したジャーナリストたち、とくに進歩的大新聞系と新左翼崩れのルポライターは、あの学校は公立だったのに受験勉強に熱心だったとか、近くの道路が東大通りといわれている、ということを大きく取り上げました。 それに便乗して宮台真司東京都立大学助教授のような社会学者は、子どもたちが学校化されている。学校に飼い馴らされているから、それがきっかけでこういうことが起きた。あの地域はコンビニもディスコもない清潔な地域で、それで子どもが欲求不満になって事件を起こしたというわけです。両方とも犯罪社会学のすべての常識に反する意見なんですが、それが大きく報道されて、一番の問題は教育だということになってしまった。 さっそく小杉文部大臣(当時)が文教委員会で取り上げました。それに対して、栗本慎一郎氏のように、これは文教委員会の問題ではなく、厚生委員会か法務委員会で取り上げる問題だ、と正論を唱える人もいたんですが、文教委員会で取り上げたことによって、教育問題にしてしまったわけです。
久徳 そのあとで黒磯の事件が起こりましたね。
小田 ええ、これも学校ヘナイフの持ち込みを認めるかどうかという問題が、所持品検査をするかどうかということになって、人権問題にすり替えられてしまいました。
この事件の1年前から栃木県教育委員会では教壇を取り外させていたんですね。それによって教師を甘く見る、自分より下に見るという雰囲気をつくってしまったことも、こういう事件が起きた一因ではないでしょうか。学校の先生たちは教室の秩序を維持する能力を失ってしまって、授業中でもポケベルが鳴る、立って歩いたり私語を交わすということで、授業が成立しない。
自由保育といって、幼稚園・保育園で子どもたちにしつけをしない。団体行動をするように教えない。みんながお遊戯をしているときに、寝転んでいる子どもがいても、それはその子の個性なんだから、絶対に注意をしてはいけないという教育をしていますが、小学校の低学年では、そういう自由教育をしている保育園から何パーセントの児童が来ると、学級崩壊が起きるかと正確に予想できるという発表が日教組の教研集会で出ています。
久徳 ほほう。
小田 それなのに学級崩壊は自由保育のせいではない、家庭に原因があるということにしてしまおうという「教育評論家」の声ばかりが高いのです。ところが、家庭においては、精神分析の立場からいうと、子どもは父親との同一化に基づいて超自我を確立していかなくてはならないんですが、そういうことはなしにして、子どもの個性を守ることが大事だという。
個性を伸ばすためには、バイタリティーを与えるようなことをしなければならないはずですが、それをすると暴力だということになる。つまり学校も家庭も崩壊させるようなことをいって、日本社会のタガを外そうとしている人たちがいる。そういうことが少年犯罪の質的変化をもたらしているんだと私は思います。


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